獅子頭
獅子舞に用いる仮面をいう。特にカシラとだけ呼ぶこともある。古く伎楽や舞楽などとともに日本に入ってきたもので、その原型はライオンを象った霊獣と考えられた。正倉院の御物にあるものが一番古いとされ、遠く西域からサッサン・ペルシャ・アッシリアあたりまでその跡をたどることができるといわれる。獅子頭を神の御座(みくら)と考えたり、または神が仮に現れた姿を示す権現と信じられている。鳥海山麓の本海流獅子舞番楽が伝承されている地域では、この獅子頭を八幡神などという神そのものとしても崇められる。獅子神楽は、山伏神楽・番楽・大神楽など祭礼につく獅子や、門ごとに回す獅子もこの流れによるものである。口に柄杓(ひしゃく)をくわえたり、お札をくわえて舞うなど火伏の祈祷をしたり、悪魔祓いをする。これに対して風流獅子舞に使う獅子頭は、鹿や龍にも変形し、三匹獅子などといわれるものがある。風流のもつ悪魔祓いの信仰と結びついたものである。
獅子宿
獅子舞に関係する者たちは獅子講中、獅子舞連中というが、このなかで特に獅子頭を授かったとか、獅子舞を始めた先祖の家など、獅子頭と深く関係する家柄を獅子宿といった。また獅子舞番楽講中では獅子を何代にもわたって祀って、保管してきた家も獅子宿というが、近年では講中や連中のなかの代表者の家を呼ぶときに使われてきた。
獅子幕
獅子頭に付けて用いる後ろ幕のことをいうが、獅子神楽の内容によって幕の大きさは異なっている。獅子神楽系の幕は大きく、幕取りは両手で後ろに広げて大きくみせる。また、太神楽のように後ろ幕を被って、頭を持つ者とあわせて四足で舞うようにする幕もある。風流系の獅子幕は一人だけで幕を頭から被るようにしたものが多く、大きさはそれほどでもない。獅子幕の素材は古いものは麻や苧を染めて作ったのものがあるが、しだいに木綿に変わっていた。模様には鱗(うろこ)や縞(しま)、水玉などがあるが、意匠の意味は不明である。
下舞
山伏神楽(番楽)で最初に舞われるのが獅子舞だが、この獅子舞は下舞と獅子を直接舞わす獅子舞(獅子がかりともいう)の二部構成になっている。これらは神舞とか陣舞などと表記されるが、これが下舞のことであった。下舞は、獅子頭を採って舞う前におこなわれる舞いをいうが、本海流獅子舞番楽では最初に何も持たずに素手で舞い、次に刀や扇、鈴など替えながら舞い、最後に手拭いで下舞いを終える。次にようやく獅子頭を採って舞わすこととなる。最初から獅子を採って舞うのではなく、獅子頭を幕の前に安置して、あたかも獅子の霊魂を鎮めるために舞われるものともみられる。
採り物
神事・芸能に舞人などの役が手に携えるもののことを採り物という。単なる持ち物という意味ではなく、鎮魂の呪術に必要な用具であり、それによって神の資格や素性を顕し、持つ者は依り代的な性格が発揮されるとみられている。民俗芸能の場合は鈴や扇、榊、竹(篠)、御幣などのほかに、錫杖(しゃくじょう)のこともある。ほかに、舞にもよるが太刀や弓、鉾などもみられ、これらは神鎮めと同時に悪霊退散をはかる呪具として、さまざまな作法がともなっている。
祓と禊
「祓(はら)え」も「禊(みそ)ぎ」も、ともに罪、穢れ、災禍を除去する神事である。神道では特に清浄を重んずるところから、身心の穢汚を除き、本来の清らかな姿勢をもって初めて、神に近づくことができると考えている。また神も清浄を好み給うとする。したがって神祭りの最初、あるいは序めに必ず行なわれるのが祓いである。「解除」「祓除」とも書き、福を招来するための凶事祓が一般的となってきた。禊(みそぎ)は海や川に入るなど身を洗う「身漱(すす)ぎ」が語源とされる。これは、より実質的行為として、罪、穢れを除く方法で、厳重に肉体を清めることにより、心の清浄化もなされるという方法である。神事に奉仕するもの、参加するもの全てが、潔斎(けっさい)、斎戒(さいかい)して心身を清浄に保ち、禁忌を犯さぬよう、魂を鎮めて神祭りをすることが基本とされる。その意味で祓も禊も神道的理念の上では同義であるといえる。
神輿・山車
神社の例祭ではよく神々が神殿より出て神輿(みこし)に駕御して、氏子中や他所に渡御する神幸(御幸)をおこなっている。この時の神々の乗御にあてる輿が神輿で、特に祭礼で振り動かすのを見かけるが、古来より御輿振りといってきた。御輿振りは神威の発揚を求めるためといわれ、今も盛んである。いずれも神輿で神幸をおこなうのは各神社の伝統があり、趣旨は一定しないが、概ね御生(みあ)れの故事、氏子域内悪霊を鎮めるためとか、直接にうしはきます(みそなわす)氏子域の守護とその報賽(感謝)をうけるため、神社より出て廻るものである。山車も祭礼に曳かれて練り歩くもので、飾り立てた屋台で、賑やかな笛、太鼓が乗ることが多い。ダシというのは元来、山車の屋根に立てた山鉾の先端にあるしるしをいったもので、これが神の憑代となるものであった。神輿と異なる点は、はっきりした神座はないが、一種の神籬として、高い先端に意味がある。したがって祭礼に山車がくり出されるのも、神輿とほぼ同様の意義をもっているといえる。
神事芸能
神事に関わっておこなわれる芸能をいうが、もともと芸能の大半は信仰に由来することが多い。神楽はその代表的のものだが、祭式のなかにも芸能があって、神の御意志を顕すものとして芸能が中心となるものがある。その神楽の起源は『古事記』に天の岩戸開に天鈿女命(あめのうずめのみこと)が神憑(かみがか)りをして舞ったことに遡る。この故事から神祭りには神前で奏せられ、特に神慮を慰めるという意義をもつようにもなる。神楽は神座からきたといわれ、特に採り物が重視される。これが神の依り座(ま)しとしての意味をもつという。古代には一種の神憑りをして託宣することもあり、地方神楽に神子(みこ)が舞ながら言葉を唱えることは、その遺風である。神楽は大別して、宮中で伝えられてきた御神楽と、民間に伝承する里神楽があり、神楽は芸能を代表するといってよい。雅楽などとともに神祭りに奉奏される神楽の調べは、神慮を慰撫(いぶ)すると同時に人びとの心も和める。神宮には太神楽が奉納されるなど祈願の時に行われるものも多い。優雅さ、素朴さはまさに古典的神の楽ともいえるものである。
神饌(お供物)
神に献供する飯食物を神饌といっている。古くは御食といった。祭祀には饗応(きょうおう)がかなりの比重を占るものであるから、特に清浄な食物を供えることが重要となってくる。古代人の生活が食事中心の形から、饗応が神祭りの祈願や奉賽に尊重されてきたのは当然であろう。さまざまな祭に海川山野の種々、珍しいものを山盛に供えたことが、古代の祝詞にも記されている。また、神への捧げ物には祭神に由来する特別なものもあるが、現在の祭式では米(和稲、荒稲)、酒、餅、海魚、川魚、野鳥、水鳥、海菜、野菜、果物、菓子、塩、水である。神饌は一般に生饌であるが、特定神社によって熟饌、生贅、素饌があり、調理方法も異なっている。